2007年10月25日
斉藤由貴と世紀末芸術:ファム・ファタール 小論(3)
ファム・ファタル amazon.co.jp
キリスト教中心のヨーロッパ中世では、男を誘惑し現世の秩序を混乱させる異教徒(ときにユダヤ教徒)の美女が「ファム・ファタル」(運命の女)に近い。日本では谷崎潤一郎原作『痴人の愛』の主人公ナオミであろうか。
でも、よく考えてみれば「ファム・ファタル」というのは男たちの全く勝手な言い分ともいえる。美女(例外なく神秘と謎をまとっている)の魅力に抵抗できずにおぼれていく己の欲望。それなしに「ファム・ファタル」は存在しない。己の欲望と弱さに対するエクスキューズ。
斉藤由貴の「ファム・ファタル」(運命の女)はもともと月刊「カドカワ」の連載だったらしい。もともと斉藤由貴はキリスト教徒でない人々よりも異教徒=「ファム・ファタル」(運命の女)というアイディアになじみがあったように思われる。
詩集は独白形式ではあるが、そんな事実をありのままに記すなんてことはありえない。「ファム・ファタル」(運命の女)=本人という役付けではなくフィクションとしての「ファム・ファタル」像を描いたに違いないのだ。
でもそうとは感じさせない、純粋な作り物とは思えない「想い」をひたすらに伝えるフレーズ。
その魅力にあらがえない男たちは彼女の魅力にとりつかれ、彼女を「ファム・ファタル」と呼ぶだろう。
ウィーンの世紀末美術で描かれた「ファム・ファタル」(運命の女)たちの事情もきっとそれほど変わらないないはず。(この項目終わり)
詩集は独白形式ではあるが、そんな事実をありのままに記すなんてことはありえない。「ファム・ファタル」(運命の女)=本人という役付けではなくフィクションとしての「ファム・ファタル」像を描いたに違いないのだ。
でもそうとは感じさせない、純粋な作り物とは思えない「想い」をひたすらに伝えるフレーズ。
その魅力にあらがえない男たちは彼女の魅力にとりつかれ、彼女を「ファム・ファタル」と呼ぶだろう。
ウィーンの世紀末美術で描かれた「ファム・ファタル」(運命の女)たちの事情もきっとそれほど変わらないないはず。(この項目終わり)
Posted by ivanisevic at 01:19│Comments(1)
│美術・建築
この記事へのコメント
フム、フムフム。
Posted by flower-shi at 2007年10月25日 01:24