2007年10月28日

「羊男」=センチネルとしての父親

「羊男」=センチネルとしての父親目立たないけれどそのひとがいなければ世の中のものごとがうまく進まないこと。村上春樹はそのような役割を「文化的雪かき」「キャッチャー・イン・ザ・ライ」「羊男=この世とあの世の間にいるセンチネル(歩哨、監視員)」と表現している(by内田樹)。

もしかしたら、そのことは親子関係における父親の役割そのものではないか、と考えた。
父親が偉大すぎると子供が必ずしも幸福にならないこと、もおそらく関係する。バランスがとれていることの大切さを村上文学は語ろうとしているのであろうか。
普段それほど気にかけることはないのだけれども、いつもそばにいて何年もたって、気がついたら自分は自分の両足で立ってひとりで生きていくことができていた。というような感じが理想の父親、かもしれない。
「父親的なもの」は、必ずしもそばにい続ける必要はないわけで、そのような存在を感じること、あるいは、かつてそのような存在があったことを実感できれば、よいのか。


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Posted by ivanisevic at 16:03│Comments(0)読書
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